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創業は1929年と古く、博多人形や三味線などの伝統工芸品の桐箱作りが始まりです。
後に茶道具、食品、雑貨用など多岐に渡る桐箱の製造技術を培い、現在は桐製品作りも行っています。
現社長の藤井博文は2代目の祖父から事業を引継いだ3代目で、1987年生まれの若手社長。
日々美しい箱、魅力的な箱にするために独自の加工方法を開発しています。
1929年 | 広島で修行した曽祖父の増田末吉が福岡県福岡市にて「増田末吉桐箱店」を創業 |
1964年 | 福岡県古賀市にて用地購入、工場新築移転 |
1966年 | 祖父の増田博司が代表取締役に就任、「株式会社 増田桐箱店」を設立 |
1979年 | 福岡県粕屋郡新宮町に第二工場を設立 |
1990年 | 原木置き場設置 |
2002年 | 九州国立博物館採用 |
2012年 | 藤井博文が代表取締役に就任 |
2013年 | デザイナーとのコラボレーションをはじめ、デザイン商品の開発・製造に着手 |
2013年 | 福岡県古賀市にて新工場を新設し、移転 |
2017年 | 当社の桐製米びつがJIDA DESIGN MUSEUM SELECTIONに選出される *JIDA・・・公益社団法人 日本インダストリアルデザイナー協会 |
箱類、桐箱の歴史
贈り物や、物の保管方法において欠かすことのできない「箱」。
日本人の箱に対する感覚は、単なる梱包材から脱却して「何か尊いもの」「夢を託したもの」「大切にしたいもの」という、人の気持ちを一緒に包んでしまう不思議な存在になっています。古来から続く文化として、浦島太郎や舌切り雀など、「箱」がキーワードになっている日本昔話も少なくありません。
「箱」の文化はもともと宗教的要素があり、奈良時代に大陸から仏具を納めるものとして箱類使われたことがはじまりです。
これが経箱、袈裟箱、念珠箱に分化し、今でも続いています。
平安時代になると公卿貴族が享有し始め、硯箱や文箱など調達品の容れ物として使われるようになります。
硯や手紙など、保管する中身もより箱の方が主役を務め、それだけ贅が尽くされるようになりました。鎧兜や刀等武具が納められ始めたのもこの頃からです。
室町末期には茶の湯が流行し純粋に茶家の作成した箱が登場します。
茶匠や数寄者による好みが出てくることで、器物ごとに特徴のある箱が作られるようになります。
茶の箱は保護・保管に加え中身の証明等の意味も持つようになります。それ以降、茶の湯が流行し始める中で、桐箱はメインストリームとなります。
現在では茶道具を含めて、仏具、調度品、置物、花瓶、宝石など丁寧な扱いをする箱類や、衣料、食品、植物などやわらかい物を入れる箱、また、不用品を入れる屑箱など、様々な目的の箱が存在しています。
素材も様々で、杉、籾、桑や紫檀、黒檀などの唐木など数種に及ぶ材料で箱は作られますが、「箱」としてみれば桐が最も喜ばれ、重宝されています。
それは、桐がもっとも「箱」に適した素材だからです。
桐が最も適している理由は、まず軽いこと。
運搬の面でも保管の面でも「軽い」というのは大きな利点です。そして「柔らかい」ことも利点にあげられます。柔らかい素材なので、外からの衝撃や中の衝撃を柔らかく受け止め破損を防ぎます。
箱に傷は付きますが、実は少々くぼんでも湿らせるとへこみが戻る特性が桐にはあります。
桐にはタンニンという成分が豊富に含まれているため、「防虫」や「防カビ」といった、まさに保管用の効能を持っています。何よりも喜ばれるのはそのタンニンにより水に強く、浸水時も桐の膨張によって木が膨らみ、箱の内部に水が入らなくなるという点です。火災時の放水や大雨洪水と、水害被害に悩まされていた日本の歴史の中で重宝された部分です。
桐以前に箱の主流であった唐木は、見栄えと硬さには優れていますが、衝撃や乾燥に弱く、四季のある日本では気温や湿度の変化で亀裂や破損を生じやすいという問題がありました。それゆえ、反りなど狂いの少ない桐へと移っていったのです。
増田桐箱店の強み
人間国宝の方々の箱や博物館所蔵用の1点物の高級な箱から、食品用や商品パッケージとしての箱などの多ロット、低価格の箱まで幅広く生産が可能です。
素材や製造にこだわる1点ものの箱は職人の手作業でつくられます。生産数が多いものやコストを下げたい箱は、工場内のライン製造やロボット、素材のランクなどから適正な価格での製造を可能にしています。
創業90年と歴史が永く、国内外に幅広い業界のお客様が多くいらっしゃいます。そのためご提案できる事例が多いです。
増田桐箱点は、博多の伝統工芸品である「博多人形」を入れる箱の製造がはじまりです。以降、陶磁器の箱や、茶器の箱、お菓子のパッケージや大川桐ダンスの引出し等様々な箱の製造を請け負っています。
2016年以降北米を中心に海外への商品輸出なども実験的に開始を始めました。
増田桐箱店では50名以上の従業員体制で毎日桐箱の製造を行っています。専門別の分業やライン製造、危険工程のロボット化などを進めているため、短納期で多量、少量問わず製造を請け負うことができます。
営業と職人の仕事内容を線引きしているため、仕事の効率化が図れています。特に営業では製品の提案や見積もりなどフットワークが軽く、全国担当者別にご対応させて頂いていますので、お取引先さまとの密なお打合せなども可能です。
パッケージとしての桐製品のみならず、自社オリジナルの桐製品作りも手掛けています。
地元デザイン事務所trythinkの小嶋氏とのアライアンスにより、日々魅力ある桐箱や桐商品を開発しています。それゆえ、様々な箱加工の技術や仕上げ、異素材の組合せなど新しい箱のスタイルを生み出しています。その中で、展示会出展や受賞も多数頂いております。
自社で、桐の原木を管理する施設を所持しており、その中で、桐の灰汁抜きという自然の力を利用した伝統的な桐材の漂白作業を行っています。
[ 桐の灰汁抜きについて ]
- 桐の原木を割り、天日に干し雨風にさらすことでアク抜きを3年行います。
- 使いやすい板材の大きさに再度切った後、また2年ほどアク抜きを行います。
- さらに数年寝かせる「木殺し」を行うことで歪みの少ない箱に適した白く美しい桐材になります。
増田のはこづくり
増田桐箱店では、箱の用途に合わせて桐の種類や組み立て方などをご選択できますよう、日々研究を重ねています。美しい箱、魅力的な箱にするため弊社独自の加工方法も開発し、ご提案させて頂いております。
伝統ある福岡の桐箱づくりが、皆様の生活の中でより良く残りますよう心がけこれからも製造いたします。